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2022/01/07横山諒選手の引退報告

2021年12月5日の日本体育大学競技会5000mを最後に横山諒選手が引退することになりました。

横山選手の出身は御前崎市で常葉菊川高校を卒業後、2012年4月にスズキ株式会社に入社し、約10年

間競技生活を続けてきました。

入社当初から毎年ベスト記録を更新してきました。5000m14分53秒98→14分08秒96

10000m30分56秒→29分27秒54 ハーフマラソン1時間8分25秒→1時間4分6秒

フルマラソン(入社4年目)2時間23分11秒→2時間18分42秒

数分、数秒たいしたことないように感じると思います。

しかしこの数秒短縮するのには、とてつもない努力と継続が必要です。

横山選手曰く「自分は自慢できる競技成績は残せなかった」と言っていました

たしかに日本選手権、世界選手権、オリンピック出場、5000m13分台の目標も達成できませんでした。

本人の言うとおり結果はそうです。

しかし横山選手が10年間に残してきたことを皆様に知っていただきたく思います。

入社当社は体も細く、5000mを走るのがやっとの選手でした。同じ内容の練習をすればすぐに故障

し、継続した練習を積むことが出来ませんでした。その中でも短い距離の練習では持ち前のスピードで強さを見せる場面もありました。

二年目に入りようやく5000mでベスト更新し、徐々に自信をつけはじめ、練習でも前で走ることが増えてきました。

4年目には異次元の距離であったフルマラソンに挑戦します。

翌年には5分タイムを更新し、練習ではトップゴールすることも増え、チームに良い雰囲気と刺激を与えてくれる選手に育っていきました。

徐々に力をつけましたが、怪我だけは中々なくなることはありませんでした。

それでも腐らずに何度でも立ち上がり復活してくる精神力を横山選手はもっていました。

また静岡県市町駅伝は御前崎市の代表として7回出場し、不動のアンカーとして地元のために走り、

最後の浜名湖駅伝では、区間賞を取りチームの優勝にも貢献してくれました。

2年ほど前から藤原ヘッドコーチ体制に代わり自己ベストを何度も更新し、

新しいことを素直に取り入れ挑戦する姿勢は、新人選手も背中をみて学ぶことが多かったようです。

入社時からタイムも更新してきましたが、人間的な成長を感じることが増えました。

普段は入社当社から変わらずゲーム好きの子供で、ひねくれ者といった感じ、

そんな壁を作らないキャラ(たまにかみついてくる)に新人が何でも話せるのは横山選手だったようです。

弟キャラなのに意外と面倒見がよいことに驚いた記憶があります。

そんな横山選手との思い出は数えきれないほどありますが、やはりラストレースは熱いものがありました。

決して調子のよい状態ではありませんでしたが、最後まであきらめず出し切る姿は今でも鮮明に心に焼き付いています。

横山選手がゴール後に「悔いはない。すべて出し切った」

それを言った時の表情は苦しさもあり、安堵もあり、寂しさを感じるような表情でしたが、強さがありました。

男、横山諒がそこに存在しました。横山選手の背中に寂しさがありましたが、とても大きく感じました。

10年間毎日雨の日も、雪の日も、35度を超える暑い日でも、

歩みを止めずに前に前に進み続けてきた横山選手に

賞賛と感謝の気持ちでいっぱいです。

長い間、本当にお疲れ様でした!そしてありがとう。

最後に横山選手のコメントを載せておきます。

入社から10年間陸上競技をやらせていただきました。記録は残せませんでしたが、充実した競技生活でした。

1番の良い思い出は、最後の浜名湖一周駅伝です。スズキとして出る最後の駅伝で区間賞を取り、優勝できたからです。

一番きつかった思い出は、富士見高原合宿で神野選手たちと行った激坂道3km×4本です。あの疲労感は一生忘れません!!

陸上人生で得たものは、諦めないことの大切さです。今後の人生に活かしていけたらと思います。

競技に集中できたのは応援してくださった社員の方々をはじめ、職場の皆様、陸上部の先輩、後輩。たくさんの支えがあってこそでした。

これからは一人のスズキ社員として会社に貢献していければと思います。

10年間応援してくださり、本当にありがとうございました。

 

※ゼーンロバートソン選手も2021年12月、契約終了となりました。